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心を制し、心の歪みと弱さを完全に克服する考え方

心を制するために必要な考え方.jpg 

心の弱さや、心の歪みを克服するには、規則正しい生活や休養が不可欠です。
しかし、それだけでは盤石とは言えないでしょう。

心の弱さや、心の歪みを克服するためには、なによりも根本的な考え方を変える必要があります。
この記事では、精神医学、心理学、哲学、仏教などの多方面から心の弱さや歪みを克服する、新しい考え方をまとめました。
それらの分野に精通していない方でも、なるべくわかりやすい言葉でまとめました。
ゆっくり時間をかけてご覧ください。


最終更新日:2017年11月30日
バージョン:1.00





はじめに


まずは、心とは何なのか、我々は心をどうするべきなのかを説明します。


我々がはじめにするべきことは、自分の心の歪みを治すこと


歪んだ心が与えるものは歪んだものばかりです。
誰かが自分を痛めつけ、自分が誰かを痛めつけてしまいます。
心が歪むと、まるでこの世が地獄であるかのように、もがき苦しみます。

苦しむ姿を他人に見せることで、誰かが手を差し伸べてくれるでしょうか?
誰も助けてはくれません。世界は我々が思っている以上に無慈悲です。
だから、自分の心の歪みは、自分で治療する必要があるのです。
自分の心の歪みを治す、ヒントのようなものは、この考え方の中に散りばめられています。
毎日よく読んで、自分の心の歪みを治していきましょう。


歪んだ心では、正しいことも歪んで聞こえる


人間は、その時の気分によって物事の受け止め方を変える、身勝手な生き物です。
気分が良い時にはより良く解釈し、気分が悪い時にはより悪く解釈します。

考え方に触れる時は、一時的でも良いので心を改め、安定した状態で触れましょう。
歪んだ心では、どんなに正しいことでも、間違って聞こえることがあります。


心があるからこそ、命がある


命が心をつくっているかのように思われますが、実は逆です。
心があるからこそ命があるのです。

自殺をする時はどのようなときか考えてみましょう。
心が歪んでいるから、自らの命を絶とうとするのです。
心が歪むときは、命が無くなるときです。

我々が死んだ後、心がどうなるか考えてみましょう。
死ぬまでに関わってきた人、動物、物体、思想。全て我々の心が関わって、日々変化しています。
我々が死んだ後も、我々の心によって影響され、すべてのものは変化し続けています。
命がなくなったとしても、心は永久に不滅なのです。

心を軽視することは、命を軽視することと変わりません。
この世は心によって動き、心を基として存在しています。心は命と同等に扱わねばならないのです。


自分の心の問題を解決するのは自分自身


自分の悩み事を誰かに相談することは良いことです。
相談することで何か解決策が見つかるかもしれません。
しかし、最終的に決断して行動を起こすのは自分自身であることを忘れてはいけません。

誰かに相談して、解決策が見つかったとしても、最終的に行動するのは自分自身なのです。
自分の心は自分で制するという意識を忘れてはいけません。
意識ひとつで、心は大きく変わります。意識を持つことで、強くなりましょう。


自分の心は自分で制するという意識を持つ、それだけで十分である


心の弱さを克服するために、自分に負荷をかけたり、過度なストレスを与えたりする必要はありません。
自分の心は自分で制すると、ただ意識すればよいのです。それだけでも十分平穏は得られます。

誰かから悪口を言われたら、放っておけば良い。
いさかいが起こりそうなら、まず自分の怒りを鎮めれば良い。
苦しい記憶が蘇ったら、時間をかけて事実のみを受け入れれば良い。

自分の心は自分で制するという意識ひとつで、あなたは変われます。
心を制するという意識を持つだけで、あなたは平穏を得ることが出来るのです。


苦しみたくなければ、心を制しましょう


自分の心の弱さを放置している人が多すぎます。
日本の自殺者数の多さが、それを物語っています。
心の弱さを放置し、心が歪んだとき、命が無くなります。

死ぬのは簡単です。一瞬で死ぬことは可能です。
しかし、この世に未練や執着、憎しみや悲しみを大量に残した状態で、楽に死ねると本気で思っているのでしょうか?
楽に死ねる、死んだら楽になると思ったら大間違いです。不純な考えで死ぬと余計に苦しみます。
散々苦しみぬいて自殺し、死んだ後も成仏すら出来ず、耐え難い拷問のような時を過ごすのです。

それに比べたら、生きている今の生活のほうが、とても楽だと思いませんか?
もっとも生きている今が楽だからと言って、心の弱さを放置し遊び呆けていては、いつか苦しむことになるでしょう。
一番良いのは、あの世よりも生きやすいこの世の中で、心の弱さを克服し、自分の心を制して生きることです。
自分の心を制することが出来れば、苦しみから解放され、自殺などを全く考えなくなります。
苦しみたくなければ、心を制しましょう。今からでも遅くはありません。


誰でも心が歪む可能性はあり得る


無知とは時として罪となり、心をも蝕みます。

「自分の欲求が満たされない」「自分の存在を認めて欲しい」「誰かが自分を傷つけた」「誰かが自分の物を奪った」「これは自分の物」「全て自分の物」「自分は強い」「自分は偉い」「自分は正しい」

無知であると、この世の理(ことわり)を知らず、全ては自分の思い通りになると考えがちです。
しかし現実を思い知ると深く傷つきます。

つまり何も知らないままの状態だと、誰でもいつか心が歪む可能性があるということです。

一度心が歪むと、克服にはかなりの力を必要とします。
一度心が歪むと、この世の理を受け入れ難くなります。

心が歪んでしまう前に、この世の理を受け入れましょう。
インフルエンザなどの感染症にかかる前に、予防注射を打つ原理と同じです。
手遅れになる前に、知りましょう。


最終的には自分を優先する


考え方が増えてくると、いずれ考え方の間で矛盾が発生する場合があります。
その場合は、自分にとって都合の良いものを選択しましょう。

自分を優先することは決して悪いことではありません。いつも自分をないがしろにして、他人に優しく接することが出来るでしょうか?
自分を粗末に扱っていると、心は荒んでいきます。
荒んだ心が与える物は、荒んだ物ばかりです。
常に心を豊かに保ち、周りの人にもその恩恵を与えていきましょう。
そのためにも最終的には自分を優先するということが必要なのです。


考え方は、心の問題が完全に解決できたら不要


考え方は、自分の心の問題が完全に解決できたら、捨ててしまいましょう。
いつまでも考え方にこだわっていると、柔軟性を失います。
生きやすくなるために新しい考え方を身につけるにも関わらず、その考え方に縛られてしまうようでは本末転倒です。

目的はあくまでも自分が生きやすくなることで、考え方に執着することではありません。
それをしっかり覚えておきましょう。


この世の理(ことわり)


苦しまないために知っておきたいこの世の理.jpg 

この世界には様々な常識があります。
しかし、心を制するために必要な常識を知っている方はごく僅かです。
この項では、心を制するために必要な常識、即ち、この世の理(ことわり)について説明します。


物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される


物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出されます。
つまり、この世の中のほとんどの事柄は、人間の心によって動いているということです。
飛行機が空をとぶのも人間の心、会社や社会を創ったのも人間の心、我々が使っているスマホも人間の心によって存在しています。
しかし人間の心は簡単に揺れ動き、制御が難しく、外からの影響を受けやすいものです。
それにより、悲しんだり、怒ったりといった負の感情に振り回されてしまうこともあります。

心の安らぎを得たいのであれば、まずは揺れ動く自分の心を制することから始めましょう。
他人の心を制するのは困難ですが、自分の心を制するのは比較的簡単です。
自分の心を制するために必要なのが、この世の理(ことわり)。つまりこの世界の常識を知ることなのです。


人生は苦である


思い通りにならないのが人生です。

欲しいものを願っても手に入りません。
愛する人と別れたり、嫌いな人と付き合ったりしないといけないこともあります。
そして、この世に生を受けた以上、ケガや病気、老化や死などを免れることは出来ません。

思い通りにならない人生で幸せを得るには、予めこれらを受け入れることです。

何もないところに何かを引くことは出来ません。
逆に、何もないところに何かがあると、とてもありがたく感じます。
少しでも自分の思い通りになっている、今の状況に感謝をしてみましょう。


自分を苦しめる、物事への執着をやめる


人が自分を苦しめているのではありません。
自分の執着心が、自分を苦しめているのです。

○○しなければならない、○○でなければならないなどと思い、苦しむ必要はありません。
本当の意味であなたが必要としているものは、あなたを苦しめたりはしません。
辛いかもしれませんが、思い切って手放しましょう。


自分のものは存在しない


人は自分の持っていたものがなくなる時、嘆き苦しみ、悲しみます。

しかし自分のものは、法律上は存在していても、本来の意味でははじめから存在しないのです。
この世の全ては常に変化をし続けています、変化のしないものは存在しません。
自分の財産、自分の子供、自分の車、自分の家、自分の籍など全てのものは、時が経てばいつかは消えて無くなったり、形が変わったりしてしまいます。

だから、自分のものは初めから存在しないのです。
今持っているものも、いつかはなくなったり、形が変わったりする時が来るのです。
それが仏教における、空(くう)です。
つまり、色即是空(しきそくぜくう)とは、この世界に形のあるもの全て(色)が、形が変わったり、無くなったりすること(空)を言います。


暴言や暴力は、相手だけでなく自分自身も傷つける


この世の理の冒頭で申し上げたとおり、物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出されます。

人は自分を映し出す鏡と言えば、わかりやすいかもしれません。
感情的になっている人に対して感情的に接すると、よりお互いの怒りがヒートアップしていくでしょう。
そうでない方にも、感情的に接すると、感情的になってしまうこともあります。

暴言や暴力などの悪意は人から人へと伝わっていきます。
暴言や暴力を行った人は、一時的にはストレスが発散できるかもしれません。
しかし、された側は、その場で反撃するかもしれません。
その場で反撃しなかったとしても、積もり積もった恨みにより、とてつもなく大きな報復受けるかもしれません。

つまり、暴力や暴言といった行動に込められた悪意が人から人へ伝わっていき、最終的には、暴言や暴力を行った自分が、自分の生み出した悪意に溺れて苦しむのです。
誰だって、苦しみたくはないでしょう?
暴言や暴力を行うということは、相手だけではなく自分自身も傷つけるということなのです。


心を制するとは


自分で自分の心を制御する.jpg 

心を制するとは、自分で自分の心を制御することです。
苛立たしい出来事があったとしても、衝動に準じて、烈火の如く怒るのではありません。
心から生まれる災いによって、これ以上苦しまないようにするために心を制するのです。


自分の心の弱さを忘れない


「私は強い。だからどんな困難にも決して屈することはない」
そう豪語できるレベルになってみたいものですが、自分の弱さを見つめずして、どこが強いのでしょうか?

人は満足すると、それ以上は望まなくなります。
つまり自分が強いと満足すれば、次第に弱体化していきます。
自分の心の強さを語っているようでは、いつまでも心は弱いままなのです。
本当に心の強い人は何も言わず、自らの心の弱さを見つけ、刀のように叩いて鍛え、研ぎ澄ましています。

弱さを忘れた時点で、人は弱くなっていきます。
自分の心の弱さを忘れないこと。これが強くなるための秘訣なのです。


辛いことを忘れるために受け入れる


長い間生きていると、大変受け入れがたい事実に直面します。
そういったものはいつまでも記憶に残り、苦しみます。

忘れることが出来ないのであれば、いっその事、受け入れてみましょう。
矛盾しているように見えますが、いつまでも記憶に残るのは、脳が受け入れられない事実に拒否反応を示しているからです。
事実を受け入れられない状態が長引くと、いつまでも苦しみを強いられます。

どれだけ長い時を経ても良いのです。ただ、この身に起こってしまった事実を受け入れる。
それが、つらいことを忘れ、前に進むために必要なのです。


人が自分を苦しめているのではない、自分の心が自分を苦しめているのだ


「あいつのせいでこうなってしまった」「あの人のせいで自分はこんなに苦しんでいる」

目の前が見渡せず、自分で立って歩くことすらままならない人は、そう考えてしまいがちです。
そこで、闇雲に動くのではなく、ふと立ち止まって冷静になりましょう。
自分が苦しむ原因になっているものは何なのか、考えてみましょう。

苦しむ原因は、思っていたよりも身近にあることに気づきます。


自殺は身勝手である


死にたいと思うのは自由です。生きていれば、そう思うことぐらい頻繁にあります。
しかし自殺を実行するのはあまりにも身勝手です。

我々は、生きるために膨大な数の命を奪っています。
肉、野菜、魚。生きているものの命を奪い、食べ物として体内に吸収してきました。
これからもずっと、この殺生は続いていきます。
一部の動植物は、人間に食べられるためだけに生まれ、そして死んでいくのです。
彼らは生まれたときから他者に命をコントロールされる運命なのです。なんと虚しいことでしょうか。

そして、我々人間の体は、これまで食べてきた食べ物によって構成されています。
これまで食べてきた動植物があるからこそ、我々は自分の体と生命を維持することが出来るのです。

自分の命は、決して自分だけのものではありません。
我々は、これまで食べてきた動植物によって生かされているのです。
だから自殺は身勝手なのです。


お金があっても心が歪んで弱っているようでは意味がない


お金があれば幸せになれるのでしょうか?
定職に就けば幸せになれるのでしょうか?

そんなわけがありません。
定職に就いたり、お金がたくさん手に入ったりしたとしても、心が歪んで弱っているようでは意味が無いのです。
現に、名門大学を卒業し、有名な大企業に入社した後、自殺をしてしまった方が何人もいます。

心の歪みを放置した結果でしょう。心の歪みは、すなわち死を意味します。
彼らは自分の心の歪みによって殺されたのです。

もちろん、彼らの心を歪めてしまった社会にも問題があります。
しかし、自分の心の歪みを最小限にさせるために、少しでも行動を起こすことができたはずです。
それができなかったということは、もとから心を軽視し、社会的地位やお金に執着をしていたということになります。
あの大企業に入社すれば幸せになれる。お金をたくさん手に入れたら幸せになれる。この会社で昇進すれば幸せになれる。
そのようなことは決してありえないのです。所詮は夢想でしかありません。

ここで、改めて問います。
あなたがいちばん大切だと思うものは社会的地位やお金ですか?それとも自分の命と心ですか?


人と比較しないこと


人生は他人と競い合って勝ち負けを決めるレースではありません。
そもそも育った環境、接触してきた人や物、考え方などは千差万別です。
人それぞれが違っていて、得手不得手があるにも関わらず、そのハンデを無視して、ただひとつの分野で比較しあっても、虚しいだけです。

そもそも人生において、何をもって勝ちとなるのでしょうか?

お金を稼いだら勝ちなのでしょうか?
名門大学に合格できたら勝ちなのでしょうか?
権力を得ることが出来たら勝ちなのでしょうか?
恋人を見つけ、結婚すれば勝ちなのでしょうか?

そんな価値観で「自分は勝っている」「自分は負けている」と繰り返し考え続けても、何も得ることは出来ません。
むしろ無用な優越感や劣等感、嫉妬心などにより、心が痛み、荒むばかりです。
仏教においても、人間の優越感や劣等感などは災いを招くとさえ言われています。

人と比較することはやめましょう。
ただ、自分の心に目を向けましょう。それだけで十分です。


何も起こっていない


まだ何も起こっていません。
物事を大げさにして、重大事件のように感じるのは、自分の焦る心です。

遅刻した、大学受験失敗した、就職の内定が取れない、婚期を逃しそう。
だから何だというのでしょうか?

遅刻したら、謝れば良いのです。
受験に失敗したら、また挑戦すれば良いのです。
就職の内定が取れないなら、自宅でビジネスを始めれば良いのです。
婚期を逃しそうなら、婚期への執着を捨ててしまえば良いのです。

重ねて申し上げます。まだ何も起こっていません。
大げさにしているのは、焦りを感じる自分の心です。
日頃から最悪の事態を想定し、それに対する根本的な対策を考えていれば、いざという時に苦しむことはありません。


自分を痛めつける必要はない


自分の目標を達成させるために、自分の身を削り、自分を痛めつけている人がいます。
そんなことをしても、目標から遠ざかるだけです。

自分を痛めつけると、心が弱ってストレスが溜まり始めます。
ストレスが積もりに積もった結果、不満が爆発して目標とは真逆の行動をとってしまいます。
ダイエット中のやけ食いや、受験勉強中に長時間ゲームをすることなどがよくある例です。

重要なのは、自分を痛めつけることではなく、自分の心を制することです。
心を制するということは、日常生活でのちょっとした心がけひとつを積み重ねていけば出来ます。
医師にメタボや糖尿病だと言われて、ダイエットをするのではなく、日頃から腹八分目で済ませておく。
受験生になってから焦って勉強するのではなく、受験生になる前から少しずつ勉強しておく。

自分を痛めつけるのではなく、心を制するのです。
心を制することは、毎日の小さな心がけで養われます。


物を買っても、心は穏やかにはならない


物を買っても、心の問題は解決できません。
仮に一時的に安らぎを得たとしても、さらに物を要求してしまいます。
結果的に買い物依存症になってしまうかもしれません。

物欲に支配されているようでは、まだまだ心は未熟です。
心の問題を解決するには、自分の根本的な考え方を変える必要があるのです。
どちらかと言えば、満たされないからと言って物を得るのではなく、物を捨てることに近いでしょう。
引き算の考え方です。

そもそも物を買って安らぎを得ないといけないほど、あなたを追い詰めた物はなんでしょうか?
あなたを追い詰めて、精神的苦痛を感じさせるような物は、意外と大した価値のない物だったりします。
だから、思い切って捨ててしまえば良いのです。
本当に価値があって、自分にとって必要なものは、自分を苦しめたり、追い詰めたりはしません。
必要最低限の物しかなくても、心は穏やかになれるのです。


今、手元にある自由に感謝しよう


毎日が忙しい、趣味や好きなことが出来ない、もっと自由な時間が欲しい。
秒刻みで働く社会人だけでなく、学生や主婦なども含め、現代人は皆そう思っているようです。

しかし、一日は24時間と決まっており、どう頑張ってもこれ以上増えることはありません。
だから、一日の時間を変えるのではなく、我々が自分の心を変えれば良いのです。

今、手元にある自由に感謝してみましょう。
自由に感謝することで、自由に対してありがたみを感じ、自由を大事に扱うことができます。
自由を大事にすることができれば、くだらないことに時間を潰したりすることは無くなります。
結果的に、自由を満喫することが出来ます。

もっと欲しいと願うのではなく、手元にあるものに感謝をし、大事に扱いましょう。


お金は自分の心を満たすことは出来ない


お金がない人は心が貧しくて歪んでいると思われがちですが、それは逆です。
心が貧しいからお金が無くなるのです。

心の貧しい人は物に頼ります。
大した価値の無い物でも自分の心を埋めるために、何も考えずに買ってしまいます。
自分の心を満たすために、ろくでもないものを次から次へと買ってしまうのです。
そういったことを繰り返した結果、いらない物が溢れかえり、お金が無くなるのです。

この悪循環を断ち切るには、お金には自分の心を満たすことが出来ないということを知りましょう。
世の中何をするにしても、お金お金と要求されます。しかしお金を払ったとしても、得られる心の安寧は一時的なものです。

お金に頼って一時的な欲求を満たし、心の安寧を得ているようでは、お金がいくらあっても足りません。
湧き出る欲求を満たすためにお金を欲し続けるより、自分の考え方や心を変えるほうがたやすいでしょう。
お金は使うとすぐに無くなりますが、考え方や心は永遠に存在し続けるからです。


お酒は飲まないほうがよい


お酒に酔っていない普段の状態でさえ、我々は自分の心を制御することが難しいのです。
にも関わらず、なぜお酒を飲んで、さらに心を制御しづらくしているのでしょうか?
お酒を飲んでも、普段言わないようなこと、やらないようなことを、お酒の勢いで言ってしまったり、やってしまったりして、後悔してしまうだけです。

また、お酒を飲んで得られる幸福は一時的なものです。
お酒を飲んでも仕事は減らないし、問題は解決できません。
飲みすぎると翌日頭が痛くなったり、依存症になったりする可能性もあります。

お酒に頼るのではなく、自分の考え方を変えることが良いでしょう。
お酒を飲まないといけないほど、あなたを追い詰めているものは何でしょうか?
あなたが本当の意味で必要としているものは、あなたを苦しめたりはしません。
自分を苦しめるものは、思い切って捨ててしまいましょう。


目標に溺れてはいけない


目標を高く持つのは良いことですが、自分の立てた目標に溺れてしまわないようにしましょう。

自分に出来ること、やれることには限りがあります。
その限界を超えて、目標を設定しても、超えられない目標に苦しむだけです。
強くなりたいなら、まずは自分の弱さを自覚することです。
身の丈にあった行動を心がけましょう。


心と社会


心と社会の関係.jpg 

社会は人間の心によって作られています。
人間の心は社会によって揺れ動きます。
心を制するのであれば、社会に対する見方を考慮する必要があるのです。


変えるべきは社会ではなく、自分の心


我々がどんなに声を荒げても、この社会が変わることはありません。
たとえそれが暴力を伴ったテロリズムだとしても、社会は何も変わりません。

地球がデコボコ道で足が痛いからといって、地球全土にじゅうたんを広げますか?
それよりも、我々が靴を履けば、かんたんに解決できます。

変えるべきは社会ではなく、自分の心。
その意識を持つことが、心の弱さを克服し、心を制する近道なのです。


我々は決して弱いわけじゃない


人との争いを極力避けようとする我々を、「腰抜け」や「弱虫」などと言う人達がいますが、私はそう思いません。

我々は決して弱いわけではありません。
人との争いが苦しいものであるということをよく理解し、一手先のことが読める人間なのです。
我々を馬鹿にする人たちは、暴言や暴力で人を制圧し、言うことを聞かせようとします。
しかし、我々は話し合いで解決します。
どちらがより人間らしいか、あえて言わなくてもわかりますよね。

人より弱いのではなく、人より理性的なのです。
本当に弱いのは、人を痛めつけて安寧を得ようとする人たちです。
他者への攻撃的な態度は、自信のなさと弱さの裏返しでしかありません。


嫌なものを避け続けると、心は弱体化していく


ある日、私が飲食店の列に並んでいると、スッと私の目の前に横入りした人がいました。
お店のスタッフはそれを全く見ておらず、普通に横入りした人が先に注文していました。
私の中にふつふつと怒りが沸いてきて、「なんと理不尽なことか!」と思いました。
しかし、怒りは自分の心を汚し、歪ませていくものだということを思い出した私は、それ以降、その件について考えることをやめました。
怒りを抑え、堪えている間は「これが心を制するということなのか」と思いました。

私が家の中に閉じこもり、書籍を読み続け、ネットにアクセスしているだけの生活であれば、このような体験をすることは無かったでしょう。
書籍やネットなどの知識から学べることもありますが、体験や経験から学べることもあります。
私はこの体験を経て、前よりもいっそう、心を制するという段階に近づきました。
人と接触すると苦しみを伴うことがありますが、その苦しみによって学び、心がレベルアップしていくこともあるのです。

つまり、人と接触するのが苦しいと思い、避け続けていては、心が弱体化していく可能性があるということです。
たまには外に出てみましょう。経験や体験から学べることもあります。


真の意味での自立とは、心を制することにある


社会に出て、お金を稼げば自立と言えるのでしょうか?

違います。自立とは、自分の心を制して初めて自立といえるのです。
働いてお金を稼ぐことぐらい、健常者であれば誰でも出来ます。重要なのは心です。

「あいつが気に入らない」「いつかこんな会社やめてやる」「この社会が憎い」などと考えながら働く、心が未熟な人達が自立しているとは、とても思えません。
社会に出て働いたとしても、心の問題を放置して、災いを引き起こしているようでは自立したとは言えないのです。

この世の中は全て心で動いています。お金で動いているわけではありません。お金を使うこともまた、人の心なのです。
真の意味で自立しましょう。そのためには自分の心を制するということが不可欠なのです。


性の経験があるからと言って偉いわけではない


ネットにアクセスしていると、たまに自分の性の経験に関して自慢をしている方を見かけます。

性の経験があれば偉いのでしょうか?得意なのでしょうか?
決してそのようなことはありません。
なぜかと言うと、そのようなことを誇らしげに語った時点で、心が未熟で歪んでいるからです。
歪んだ心が招くものは何でしょうか?破滅や死といったマイナスなものばかりです。

太宰治の人間失格に登場する葉蔵は、悪友の堀木にそそのかされて、風俗店で性の経験を貪り始めました。
葉蔵の心は次第に歪み、性に溺れ、酒に溺れ、薬物に溺れた挙句、廃人になりました。

断じて性の経験そのものが悪いわけではありません。
問題なのは心です。性の経験に対する不純で、悪意のある歪んだ心です。
心の歪みは災いを招きます。気をつけましょう。


関わる相手は選ぼう


心が歪んだ人間の近くには、同じく歪んだ心の人間が集まるものです。
たとえあなたの心が清らかだったとしても、心が歪んだ人間の言葉によって、あなた自身も歪んでしまいます。

あなたが集団の中でどれだけ正しいと思うことを訴えたとしても、集団の流れや空気と言ったものはそう簡単には変わりません。
しかし、自分が変わることは簡単です。
集団の流れや空気を受け入れることが出来ないならば、自分が離脱すれば良いのです。

心を必要以上に痛めつけたり、歪ませたりしないように、集団から離脱することは極めて重要な事なのです。
心が歪んでしまうその前に、関わる相手は選びましょう。我々は、選ぶことが出来るのです。


必ずしも自分が正しいとは限らない


自分が絶対正義だと思わないほうが良いでしょう。
この世の中にはいろんな人がいます。
正義の反対は悪ではありません。正義の反対もまた、正義なのです。

人それぞれが、それぞれの事情で動いており、それぞれの正義があります。
自分の意見ばかりを相手に押し付けてはいけません。正しいものは状況によって変わっていきます。

私が書いた、この記事の考え方も、人によっては間違って聞こえるかもしれません。
しかし、それでいいのです。
我々のするべきことは、まず自分の心を制することであり、他人の心を制することではないからです。
我々が穏やかで、苦しむことのない生活を送ることができれば、それで十分ではありませんか?

だから、自分の意見を正しいと思い、それを誰かに強要するべきではないのです。


全ては縁のおかげさまで、感謝の気持ちを忘れないこと


我々は、大勢の人の縁によって生かされています。
自分ひとりで生きているわけではありません。

時間的に見れば、自分がこの世に生を受けるまでに、両親が生まれ、そのまた両親の両親が生まれています。
こうして過去に遡っていくと、何千年、何万年という時の縁によって、自分が生を受けていることがわかります。

また、この一瞬の空間を見ても、縁によって生かされていることがわかります。
今私は記事を制作していますが、使用しているパソコン、電気、ネット、住居、私自身など、諸々が存在していなければ記事を制作することは出来ません。
私だけでなく他の人達もそうです。
我々は移動をするために車や鉄道を利用していますが、それを製造する人、販売する人、運転する人、整備する人などが存在して初めて利用できるのです。

このように、時間的にも空間的にも、我々は無数の縁によって生かし生かされています。
我々の命と他の人の命が、縁によってつながっている状態なのです。
だから自殺はしてはいけないのです。


この世の中に無駄なものは何もない


先の項で申し上げたとおり、この世の中に存在する全てが関係しあって、この世の中は構成されています。
全ての存在には、なんらかの意味があるのです。
この世の中に無意味なもの、無駄なものは、ひとつもありません。

たとえそれが、あなたから見て、社会的に何の役にも立っていなさそうな人でも、存在するだけで意味があるのです。
社会の役に立っていないのではなく、自分の役に立っていないという話でしかありません。

もちろん、あなたが生きていることにも、なんらかの意味があります。
だから生きていても良いのです。
生きているだけで、この世の中に存在する無数の縁に、無限の可能性を与えているからです。


行動が伴うことで、考え方が役に立つ


ここまでこの記事を読み進めたあなたは、相当な量の生のエネルギーを手に入れることができたでしょう。
「死にたい」とか「苦しい」などといった考えは、ある程度無くなってきたかと思います。

しかし、どれだけ良い考え方に触れたとしても、行動が伴わなければ意味がありません。
寝転がってお菓子を食べながら考え方に触れているようでは、数時間も経たないうちに、また「死にたい」とか「苦しい」などと思うことになるでしょう。
だから、この考え方の記事を毎日読むだけでなく、この考え方を元に行動を起こすのです。

自分を苦しめている物や人を手放す。
手元にある物や人にありがたみを持つ。

行動を起こすことで心は盤石となり、歪むことがなくなります。
そうして心を制するという段階に近づくのです。
心を制することができれば、あなたは心の苦しみから解放されます。


心を制することによる恩恵


心を制した時に得られる物.jpg 

自分で自分の心を制御する。
その恩恵は、計り知れないものです。


精神病が緩和、完治する


精神病の症状を緩和、完治させるためには、休養や食事、処方箋などが不可欠です。
しかしそれだけでは十分であるとは言えません。
休養や食事、処方箋などで症状を緩和、完治したとしても、それは一時的です。いずれ再発するかもしれません。
症状の恒久的な緩和や完治を目指すには、なによりも根本的な考え方を改める必要があります。

精神医学において、認知行動療法というものがあります。
認知行動療法とは、不適切な反応の原因である誤った考え方を、正しく改めるための治療法です。
認知行動療法は、うつ病、統合失調症、パニック障害などにおいて、科学的根拠に基づいて有効性が確認されています。

そして、認知行動療法は仏教哲学の影響を多少受けています。
仏教も認知行動療法も、精神病の症状の恒久的な緩和や完治を目指すという意味では同じです。
つまり、これらを用いて正しい考え方を身につけ、心を制することで、症状が緩和もしくは完治することができるということです。


争いが静まる


心を制することで、争いのもとである、恨み、憎しみ、妬み、悲しみなどといった悪意のある感情を抱かなくなります。
それらの感情は相手だけではなく、自分自身も傷つけるということをわかっているからです。
また、誰かがそのような感情を自分に向けたとしても、全く気にしなくなります。

心を制することで、争いや悪意のある感情の連鎖は静まります。


些細なことで動じることがなくなる


焦ったとしても、状況は何も変わりません。
焦りにより混乱してしまい、事態がより悪い方向に向かっていくこともあります。

心を制すると、焦りは自分をより感情的にさせてしまうものだということが分かるため、些細な事で動じることがなくなります。
また、物事の成り行きを自分の都合よく解釈しないので、最悪の場合に備えることも出来ます。
それが自分の心を支え、心を盤石なものにさせるのです。


お金がなくても問題なくなる


心を制すると、お金は自分の心を満たすことが出来ないということが、よく分かるようになります。
何も考えずに物事をお金で解決するようなこともなくなります。

お金があってもなくても、自分の幸福とは全く関係が無いことに気づきます。
また、心が満たされているため、必要以上にお金を得ようとして、苦しむこともなくなります。
お金と心の癒着を分離することが出来ます。


今に全力が出せる


心を制すると、感情に振り回されることがなくなります。

人間が目標を達成するために、一番障害となるものは感情です。
怒り、恨み、妬み、僻みなどといった感情は、人間の行動を制限してしまうのです。
心を制することで、これらの感情に振り回されることなく、今の自分に全力を出すことが出来ます。
そのため、行動ひとつひとつに迷いや後悔がありません。


生きているだけで常に幸福を感じる


心を制することで、自分の手元にある全てのものは、いつか消えてなくなるものだということが分かります。
全ての物事に対してありがたみを感じ、感謝をすることができます。
結果的に恵まれた今の状態がとても幸せであると感じます。

生きることができる。この世にこの身がある。
それがどれほど幸せなことであるのか、分かるようになります。
幸せを得るために何かを求めて、手に入れても満たされないからまた求めてと繰り返す、泥沼の状態から解放されます。

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