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大学や企業が必ずしも不要だとは言えない

大学や企業が不要だとは言えない.jpg 

よく有名起業家や評論家が、「ほとんどの大学や企業は不要である」と声を大にして、大学不要論企業不要論を掲げています。

本当に不要なのでしょうか?

私は、そう思いません。
この記事では大学や企業が必ずしも不要だとは言えない理由を説明します。




大学や企業が無かったら不要論すら語れない

今の自分はこれまで積み重ねてきた全てで構成されている.jpg 

根本的な問題として、大学や企業が存在しない世界だったら不要論すら語れません。
自分が大学や企業に所属した経験や、所属していた人の話がもととなって不要論が語ることが出来ているにも関わらず、その恩恵を忘れて、存在を否定するのは恩知らずです。

大学や企業の問題点、改善すべき点を指摘するならわかります。
しかし今の自分は、これまで関わってきた人、言葉、考え方、感情、組織、世界など全てによって構成されていることを決して忘れてはいけません。


不要論を語るのは時期尚早


種をまいて花が開くまでの時間は長い.jpg 

本当に自分の役に立つかどうかは、何十年も生きた後の死ぬ寸前ぐらいでないとわかりません。
大学や企業に数年所属した程度で、自分の役に立つかどうかなんて分かるわけがないのです。

種を土に埋めて数時間程度では、芽が出ない理屈と同じです。
何かを行ったとしても、その効果を得るまでには多少のタイムラグがあります。
実行した後にタイムラグがあるにも関わらず、現代人は実行してすぐに効果が出ることばかり期待しています。
風邪薬も飲んで数秒では効きません。
ダイエットも数ヶ月取り組まなければ効果は出ません。

もっとも、すぐに物事の良し悪しを判断しなければならない起業家や評論家は、このような不要論が出てしまうことも仕方がないかもしれません。
しかし長い目で見れば、自分にとってプラスになることもあります。
カッカしていないで、たまには気長に待ってみましょう。人生はただ闇雲に動き続ければいいというわけではないと思います。


不要な人や物は存在しない


不要な人や物は存在せず、全てが縁の上に成り立っている.jpg 

全ての人や物にはなんらかの存在意義があって、それが他の人や物に影響を及ぼし続けています。
だから不要な人や物なんて何もないのです。
たとえそれが、無職やニートであっても、犯罪者であっても、周囲から社会不適合者だと罵られる人であっても同じです。
不要な人や物なんてひとつもありません。

不要だからと言って、何でもかんでも切り捨てていくと、殺伐とした世の中の出来上がりです。
不要なものと決めつけ、容赦なく切り捨てるという悪意のある心が、人から人へと伝わっていき、世の中全体が悪意で満ち溢れてしまうのです。

現に企業が経営難を乗り切るために派遣切りをしたり、大規模な人員削減を敢行したりした結果、失業者で溢れかえり、社会全体が悪意にあふれてしまっています。
歴史もそれを証明しています。選民思想や人種差別を掲げた組織や団体は、人々の心に悪意をばら撒き、犯罪や戦争を起こしてきました。

重ねて申し上げますが、この世の中に不要な人や物はひとつもありません。
全てに存在意義があり、他の人や物に影響を及ぼしています。


まとめ


大学や企業が必ずしも不要だとは言えない理由をまとめます。

  • 不要論を語るにも、対象が存在しなければ語れないという矛盾があるから
  • 長い目で見れば、自分にとってプラスになるかもしれないから
  • この世の全てに存在意義があり、他の人や物に影響を及ぼしているから

自分にとって価値の無いものだから、世の中のものを全て切り捨てようと言うのはあまりにもひどいエゴイズムです。
差別や偏見、選民思想を掲げた組織や団体は遅かれ早かれ破滅しています。
自分が破滅したいのであれば止めはしませんが、それでも周囲に悪意を撒き散らすこともあるので、止めたほうが良いに決まっています。
なにより、不要論を掲げた自分自身も不幸でしょう?


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