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心の弱さを克服する10個の仏教的な考え方


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打たれ強い心を手に入れるには、根本となる考え方を変えることが一番重要です。
今日は心の弱さを克服する10個の仏教的な考え方をまとめました。
一語一句、噛み締めて読んでいただければ幸いです。



その1:自分を苦しめる執着をやめる


はじめに、自分を苦しめているのは自分の執着であることに目を向けましょう。

偏差値の高い大学に入らないといけない
就職浪人しないためにも、あの会社の内定を取らないといけない
苦労して入社した会社だから、ブラック企業でも耐えなければならない
パートナーを見つけて結婚しなければいけない

どれもこれも、生きる上で必ず必要であるとは言えません。
大学不合格になった、就職浪人した、会社を辞めた、一生独身になった。だから何だというのでしょうか。
どれも生死に関わるような重大な問題ではありません。
全て自分が生まれた後から必要であると思いこんで、こうしなければならないと決めつけているに過ぎないのです。

また、それらを手に入れたからといって、必ずしも幸せになるとも限りません。
偏差値の高い大学に入学したら、毎日レポートや研究で忙しく、苦しくなるかもしれません。
無理して仕事をしても、誰からも評価されず過労死する可能性もあります。
求めているものを手に入れたら必ず幸せになる、これは自分が作り出した幻です。

私は決して努力を否定しているわけではありません。
自分の欲しいものを得たいがために、必要以上に苦しむことないということです。
自分の執着により苦しんでいるのであれば、いっそ手放すことも選択肢の中に入れておきましょう。


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その2:生きているだけで誰かの役に立っている



「自分は無職で誰の役にも立っていない、だから死ぬべきである」という考えは間違いです。
この世に何の役にも立たない人間や生き物、物体は存在しません。全てが関係しあって存在しています。

はるか昔、畑の中にいるミミズは土壌を耕し、成長する野菜は人間の糧になり、排泄物は農作物の肥料になっていました。
現代では人間が生きて、食料や電気水道ガスなどを消費することで、それらを提供する側の雇用が担保されています。
ブログの記事を書いたり、動画を作成して公開したり、SNSで自分の意見を発言したりするだけでも、誰かの行動に影響を与えます。
一見役に立たなそうな石ころですら、地面を構成する物質の一部なのです。

「誰の役にも立っていない」と言うのは目に見えていないだけです。
誰もが関係しあって生きていて、この世の全てに、なんらかの意味が存在しています。
だから、捨てていい命なんてありません。役に立たない命なんてありません。
自分の命は誰かの命を存続させているのです。

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その3:人生は苦である


いつも自分の思い通りにならない、不幸なことばかり起こる、そう思っていませんか?

人生とは苦しみに始まり、苦しみに終わるものです。

普通に生きているだけでも老化や病気、死などの苦しみから逃れることは出来ません。
それだけにとどまらず、会いたくもない人に会わないといけない、親しい人と別れないといけないなど、人生は自分の思い通りにならない苦しみだらけです。

苦しみまみれの人生でも生きやすくするには、最初から過度に期待せず、少しでも自分の思い通りに出来ている今の生活にありがたみを持って生きることです。
そして、思い通りにならない苦しみすらも、人生を面白くするスパイスであるとポジティブに解釈し、楽しむことです。


その4:人は自分を映す鏡である



なぜ、怒りや憎しみの連鎖は止まらないのでしょうか。
それは、人は自分を映す鏡であるからです。

感情的になっている人に対して感情的に接することは、無用なトラブルに発展してしまうだけです。
相手が感情的になっているときこそ平常心を忘れず、穏やかに接しましょう。
自分も日頃から感情的に行動せず、落ち着いて理性的な行動を心がけましょう。

そして、憎しみを抱いている相手のことを許すことです。
相手へ特別に何かをしろというわけではありません。
ここで言う「許す」とは「相手への憎しみの感情を忘れる」ということです。
なかなか難しいことですが、相手を恨んでいても何も生み出すことは出来ません。
建設的で意味のある生活を送るためにも、そういった感情は一日でも早く忘れる必要があるのです。


その5:自分の全てを受け入れる


弱くて情けない自分が大嫌いだ、もっと強くなりたい。
その気概は大変素晴らしいです。しかし、真の強さとは何なのかを考えてみましょう。


私は、真の強さとは「自分の全てを受け入れる」ということだと思います。
まず、勝ち負けのつく戦いを永遠に繰り返していくと、誰でもいつかは負ける時が来ます。
日頃から鍛錬を厳しく行っていても、いつかは負ける時が来るのです。
その「いつか来る負け」にどう対応するかが、真の強さが試される時ではないでしょうか?

自分が負けたという、すでに起こってしまった事実はどう頑張っても捻じ曲げることは出来ません。
負けた自分に与えられた選択肢は、「負けを受け入れて前に進むか」「負けの事実を認めず、自分を偽って生きるのか」という二択です。
負けを受け入れるということは、とても苦しく耐え難いものです。
しかし、負けた事実や弱いところなども含めて「自分の全てを受け入れる」ことで本当の意味で強くなれるのです。

真の強さを手に入れたいのであれば、自分の弱さを知り、弱さを補強・カバーする戦略を練り、弱さに向き合って戦うべきなのです。
それが「自分の全てを受け入れる」ということです。


その6:自分のものは存在しない


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人は自分の持っていたものがなくなる時、嘆き苦しみ、悲しみます。
しかし、自分のものは法律上存在していても、本来の意味でははじめから存在しないのです。
この世の全ては常に変化をし続けています、変化のしないものは存在しません。
自分の財産、自分の子供、自分の車、自分の家、自分の籍など全てのものは、時が経てばいつかは消えて無くなったり、形が変わったりしてしまいます。

だから、自分のものは存在しないのです。
失った時に苦しまないようにするには、「すべてのものはいずれ消えてなくなる」「自分のものは存在しない」ということを予め受け入れましょう。


その7:今の自分を構成するのは自分に関わってきた人全てある


なぜ、悪事を働く罪人が絶えないのでしょうか?
もともと、彼ら彼女らはそのようなことをする人間ではなかったはずです。
人は生まれてきたとき、我々が想像するよりも遥かに純粋で、汚れのない真っ白な心を持っています。
年齢を重ねるとともに、いろんな人に出会い、接触することで自我や個性、物の考え方が形成されていきます。

つまり、今の自分を構成するのは、これまで自分に関わってきた人全てにあるのです。

だからこそ、付き合う人間や関わる人たちは、自分でしっかり選ばないといけません。
特に、悪い考えや負の感情を持った人の意見はまどわされやすく、心の歪みの原因になってしまいます。
自分の心が弱ることを防ぐには、人の心を痛めつける人間を自分から遠ざけることが一番なのです。


その8:自分が生きることは誰かを殺すこと


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食べ物を食べる時に「いただきます」を言うのはなぜでしょうか。
自分が食べるために殺した命に感謝と供養を捧げるためです。
残念ながら、この世に生を受けた以上、誰かを殺さない限り自分が生きていくことは出来ません

自分が食べるために殺してしまった命に感謝と供養を捧げる、そのための言葉が「いただきます」なのです。
公の場で「いただきます」と言うのが恥ずかしいなら念じるだけでも十分です。
誰かの命のおかげで今日を生きることが出来ている、それを毎食時に意識するだけであなたはずっと優しく、強くなれます。


その9:その場の流れは個人の力ではどうにもならない


自分ひとりの力ではどうにもならないこともあります。
特に、その場の流れや空気と言ったものは、個人の力では簡単に動かせません。
いじめ問題が解決しないのは、すでに出来上がってしまった空気を変えることが困難であるからです。
いじめ問題を解決するには、いじめの力以上の力を使用して制圧するか、自分がその組織から離れるしか術はありません。

人によっては、問題から逃げることを良しとしない考えがありますが、私は反対です。
時には逃げることも戦術の一つです。
その場から逃げて、生き延びることが出来さえすれば、まだ手のうちようがあるのです。
もっとも、いじめなどの内輪もめが日常茶飯事で、統率が全く取れていない組織は、いずれ滅びますが。


その10:自分で自分の心を収める


この世の全ては、心に基づき、心を主とし、心によって作り出されます。
しかし人間の心は簡単に揺れ動き、制御が難しく、外からの影響を受けやすいものです。

心の弱さを克服し、安らぎを得たいのであれば、まずは自分の心を制しましょう。
自分で自分の心を収めるのです。

心を収めることが出来れば、無用ないさかいはなくなり、苦痛からも逃れることが出来るでしょう。


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